ちょっとひとやすみ
毎週末歩いて、翌週までに、その時歩いた様子をアップしようと思っているのですが、追いつきません!
来週からは旅に出てしまうし。あああああ、更新しなくては、と思うけれども、逆にプレッシャーになってしまいすすみません。
しばらくお待ちくださいね。
ちなみに目下の到着地点は、鶴見です(日本橋から22km)。まだまだ先は遠いです。
来週からは旅に出てしまうし。あああああ、更新しなくては、と思うけれども、逆にプレッシャーになってしまいすすみません。
しばらくお待ちくださいね。
ちなみに目下の到着地点は、鶴見です(日本橋から22km)。まだまだ先は遠いです。
東海道五十三次その6:ちょっとよりみち泉岳寺
増上寺からは、第一京浜沿いに歩きます。西郷どんと勝海舟が会見したという碑を眺めつつ、すすみます。
碑のアップ
品川駅手前、稲荷神社のある角を右手に曲がると、赤穂浪士と浅野内匠頭の墓のある泉岳寺に到着です。討ち入りの頃には、訪れる人も多いのでしょうか、門前には、三軒のおみやげ物やさんが並びます。せんべいや、はたまた遠く播州銘菓も売られていました。(ここでは、何も買いませんでしたよ、念のため)
東海道に戻り、品川駅を越え、京急の踏切を渡る、ようやく1つめの宿場町、品川宿に到着です。昼過ぎに出発したのですが、すでに時刻は五時をまわっていました。東海道の距離は、8km、寄り道を入れたとしても、10kmは歩いていないと思いますが、4時間かかりました。あれだけ寄り道すれば、当然か、と)
日本橋からわずかに二里。
東海道五十三次その5:ちょっとよりみち芝増上寺 [日本橋~]
寄り道しまくりな、二人、新橋からは、お店の数も少ないし、道幅が広いので、気軽に道の左右をいったりきたりもできませんので、少しペースをあげます。芝まで到着です。ここで東海道を一旦離れ、増上寺に。江戸時代からさらにさかのぼること200年、14世紀(1393年)徳川家の菩提寺ということで、東京でもピカ一の格式を誇るお寺です。
ちょうど浄土宗の開祖、法然の命日を記念した忌日(でも実際の命日は、1/25)だということで、数日に渡り御忌大会(ぎょきだいえ)という法要が行われているところでした。また、普段は、入れない徳川家の墓所が公開されており、秀忠や、和宮の墓を見ることができました。とはいっても増上寺の建造物の多くは、戦火で消失しており、本来あったという墓廟は、全てなくなっており、現在でも見られるのは、石塔と石灯籠だけでしたが。
桜と、江戸時代に庶民の信仰を集めたという寺内の寺社におまいりして、再び東海道に戻りました。
東海道五十三次その4:新橋 [街道名物 日本橋~]
銀座を抜けて新橋へ。道路右手には、創業1782年(天明二年)の文字。ぬぬっ!ここにも江戸時代創業の老舗があるでござるよ、はにゃどん。ということで、またまた寄り道したのは、新橋玉木屋さん。創業者が、越後玉木村の出身だということで、この店名がついたのだそうな。確かに街道沿いを歩いていると、越後屋、伊勢屋などと国の名前がついたお店が多いことに気付きます。こういうお店ももともとは全て生国にちなんでついているのでしょうね。
こちらのお店が素晴らしいのは、気前良く試食させてくれること(笑)どんどん試食させてくれるし、おまけにお茶まで出してくれます。いやー、こういうお店最高!Ginaどんは学生時代、マネキンのアルバイト(スーパーやデパートで試食販売をしている売り子)を趣味と実益を兼ねてしていたのですが、試食ってけちると売れないんですよ。こういう風にどんどん試食させると、お客さんとの間に会話が自然とうまれて、そして買ってもらえるんですね~!(ということで、世のお店のみなさま、どんどん試食させてください!)
牛肉牛蒡巻 1本682円也
結果、一番気に入った牛肉牛蒡巻(牛肉が大和煮のごとくほろほろになるまで、じっくり煮ているので、たまりません。)を、はにゃどんのお弁当用にと買い込んで、お店を後にしたのでした。買いませんでしたが、はにゃどんは、にしんも気に入っていた様子。また行くでしょう。きっと。
新橋玉木屋
港区新橋1-8-5
東海道五十三次その3:京橋~銀座 [日本橋~]
いきなりの寄り道でしたが、その後も道中の花を愛でながら、のんびりとすすみます。
こんなものも飲んでます。
出発から1時間もかかって京橋に到着です。
京橋川に架けられていた京橋の親柱が残されています。写真は、大正時代に使われていたもので、上部には灯りがつくようになっていたとか。
銀座でも寄り道をと思ったら、いいかげんにしなさいと、はにゃどんに突っ込まれました。仕方なく先を急ぎます。
こんなものも飲んでます。
出発から1時間もかかって京橋に到着です。
京橋川に架けられていた京橋の親柱が残されています。写真は、大正時代に使われていたもので、上部には灯りがつくようになっていたとか。
銀座でも寄り道をと思ったら、いいかげんにしなさいと、はにゃどんに突っ込まれました。仕方なく先を急ぎます。
東海道五十三次その2:榮太樓總本鋪 日本橋本店 [街道名物 日本橋~]
日本橋を渡りまして、いざ!と思いきや、Ginaどんは右折。はにゃどん、おい道はそちらではないんでは?と、問うけれど、Ginaどん曰く、江戸時代から続く榮太樓の本店、当時を振り返るにはよらずにはいられまいと。
お腹がいっぱいになりすぎると、動けないという、はにゃどんのアドバイスだけは聞く気になったらしく、土産に、創業当初からあるという玉だれを買い求める。わさびを求肥で包んだこちらのお菓子は、わさびの爽やかさが利いていて、でもけっしてつーんとくることなく、品良くまとまっており大変美味。日持ちしないだけあって、できたてを買い求めることができるのも、うれしい限り。
1本788円也
榮太樓總本鋪
安政四年(1857)創業
あめ、和菓子(創業当時からあるのは、梅ぼ志飴、甘名納糖、玉だれだとか)
中央区日本橋1-2-5
東海道五十三次を歩くにあたって [自己紹介]
はじめまして。
社会人になってはや10年、食べることと飲むことが大好きで、ついたお肉もちょうど10kg!
これでは、いま流行りのメタボまっしぐらではないか、ということで、重い腰をあげました。ただ運動するのは、とても苦手、でも大好きな歴史と絡めたら、少しは長続きするのではないかと、東海道五十三次の旅に出ることにしました。
江戸時代の健脚な庶民には、とうてい及びませんが、夫婦二人で、のんびりと、道中のおいしいものを食べながら、京都を目指したいと思います。
社会人になってはや10年、食べることと飲むことが大好きで、ついたお肉もちょうど10kg!
これでは、いま流行りのメタボまっしぐらではないか、ということで、重い腰をあげました。ただ運動するのは、とても苦手、でも大好きな歴史と絡めたら、少しは長続きするのではないかと、東海道五十三次の旅に出ることにしました。
江戸時代の健脚な庶民には、とうてい及びませんが、夫婦二人で、のんびりと、道中のおいしいものを食べながら、京都を目指したいと思います。